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社会福祉法人成仁会 設立50周年記念式典 式辞

皆様、本日はご多用の中、衆議院議員 鈴木俊一様、岩手県知事 達増拓也様、岩手県社会福祉協議会 会長 千葉茂樹様、大船渡市長 渕上清様をはじめ、ご来賓の皆様、施設へご入居のご家族様、物故者のご家族様、そして、長年当法人を温かいご厚情で支えてくださる全国各地からお越しくださいました関係者の皆様、地域で日頃より支えてくださるボランティア団体の皆様、商店の皆様、さらには、かつて共に汗を流した退職された役職員さんや、今を支える現役の役職員にお集まりいただき、こうして「社会福祉法人成仁会 設立50周年記念式典」を一堂に会し、無事に迎えることができましたことに、心より心より厚く御礼を申し上げます。

先程は、式典に先立ち、施設で物故された1400余名の皆様を偲ぶ「物故者法要」を、市内11カ寺のご導師様をお迎えし、厳かに執り行いました。ご参列いただきましたご遺族の皆様、関係各位の皆様、そして法要をお勤めくださいましたご導師様方には、改めて御礼を申し上げます。

さて、この50周年の節目にあたり、「成仁会」の生みの親である創業者について、少しお話をさせていただきます。

初代理事長である山崎伊一郎先生は、当時大船渡で唯一、東京大学医学部を卒業し、医者の道を歩まれました。戦時中は海軍軍医として第一線に従事し、終戦後は東京大学病院で勤務をされました。その後、全国各地の大学病院を、妻であるシゲ会長と共に転勤しながら過ごされました。

昭和36年に大船渡市盛町へ戻り、地元の地域医療に貢献すべく「山崎内科医院」を開業。市内でも最新の医療機器を取り揃えたその病院では、子供からお年寄りまでを診察し、入院患者も受け入れ、昼夜を問わず往診にも奔走されました。

戦後の高度成長期とはいえ、往診の先々で医療や福祉の行き届かない人々の悲惨な現実を目の当たりにし、「これではだめだ。何とかしなければならない」という強い信念を抱かれました。その想いは気仙地域4市町村からの後押しと、大船渡市の絶大なるご支援のもと、多額の私財を投じて昭和51年5月1日、特別養護老人ホーム「富美岡荘」を50床で開所しました。

岩手県内でも4~5番目の特別養護老人ホームでした。当時としては斬新で、最先端の介護機器や設備を備えていたこともあり、県内各地から入所者の措置があいつぎ、施設はすぐに満床になりました。

この高い需要に応えるため、5年後の昭和55年2月に105床へ増床しました。

当時、伊一郎先生は朝早くに富美岡荘を回診し、昼は山崎内科で診察し、昼夜を問わず在宅医療の往診もしていました。シゲ会長は病院で入院患者の世話をしながら富美岡荘に出勤し、「院長さん」と呼ばれて施設長を務めていました。

夫婦ともに多忙を極めるなか、もともと体が丈夫ではなかった伊一郎先生は疲労が重なり、その年の9月29日、59歳の若さで亡くなりました。突然の逝去と、途方もない悲しみのなかで、すべてを背負い、身を削るようにして「富美岡荘」を守り抜いたのが、シゲ会長でした。シゲ会長は2年前に他界しています。

私は富美岡荘開所の2年後、昭和53年にこの法人の門を叩きました。以来、シゲ会長の姿を一番近くで見つめ、支えながら、二人三脚でがむしゃらに走ってきました。

「富美岡荘」の1事業所からスタートし、シゲ会長と共に歩んだ半世紀で、今では大船渡市内に12の事業所があります。さらに、仙台市の「杜の里福祉会」もシゲ会長が開設し、現在8事業所を展開しています。両法人を合わせると、入居者600ベッド、職員500余名、約1100人を超える東北随一の大所帯となりました。

私はシゲ会長から、平成20年に仙台の「杜の里福祉会」を、平成24年には大船渡の「成仁会」を、理事長として引き継ぎ、法人事業の運営を担うことになりました。

シゲ会長と苦楽を共にし、事業の拡大を推し進めてきました。長くもあり、短くもあった年月のなかで、幾多の困難な状況も乗り越え、気がつけば半世紀を過ぎようとしています。

平成10年に杜の里福祉会を立ち上げた時は、この成仁会の介護のノウハウと、シゲ会長の想いを全国に広げたいと考えました。まずは東北の中心である大都市仙台に、太志をもって進出することに決めました。

シゲ会長と二人で、国(厚生省)、仙台市、関係機関へお願いにあがりましたが、特に印象に残っているのは、当時の衆議院議長・伊藤宗一郎先生の秘書官とお会いし、お願いしたことです。

切れ者の秘書官である田島女史が、シゲ会長の顔を見るなり厚生省に電話を入れ、「今度、仙台の老人ホーム、山崎さんにお願いするから、補助金お願いね」と話し、その電話の向こうは、厚生大臣の小泉純一郎先生でした。シゲ会長はいつも穏やかな人相で、どんな場面にも臆せず、怯まず、強靭な行動力と精神力、オーラが溢れる人柄で、一歩一歩確実に前進する方でした。

それから、平成23年。成仁会にとって最大の試練は、「東日本大震災」という未曾有の大災害でした。

津波を免れた富美岡荘、祥風苑、蔵ハウス大船渡などの施設には、雪崩のように地域の方々が身を寄せ、職員の家族も加わって、あれよあれよという間に最大1000人近くにまで膨れ上がりました。そのことは昨日のことのように思い出します。

その時のシゲ会長の采配は、まさに目を見張るものがありました。職員をラジオ局に走らせて「富美岡荘」への避難を呼びかけ、自らポケットマネーを出して日用品や食材の調達に内陸部へと車を走らせました。「毎日の食事が一番大事だ」と、3食栄養のある食事を提供し続けた、その懐の大きさと圧倒的な愛情は、到底私たちに及ぶものではありませんでした。

仙台の杜の里福祉会も津波で1階が浸水する被害に見舞われましたが、日頃の訓練の成果もあり、入居者の皆様は全員無事でした。

戦争を体験し、その時代を生き抜いたシゲ会長の強さと行動力には、ただただ驚くばかりです。同じ時代を生き抜いた高齢者の皆様への感謝と深い敬意を、私は改めて強く噛みしめています。

近年も、予期せぬ三陸町の大きな林野火災や、記憶に新しい大槌町の林野火災が発生しました。幸いにも当法人は難を逃れましたが、地域の避難場所としての重要な役割を担いました。

当法人の施設が災害の少ない恵まれた場所にあるからこそ、今や地域のお役に立つ「なくてはならない災害支援施設」としての展望が、私の目の前に明確に広がっています。

同時に、開所から50年を経過した「富美岡荘」は、これからの時代に合った施設づくりを私の最優先の取り組みと考えています。また、県内唯一の盲養護老人ホーム「祥風苑」も開苑から34年が経過し、老朽化が進んでいます。どの施設も、シゲ会長が並々ならぬ念願をかけて作り上げた大切な施設です。地域の皆様が末永く安心してご利用いただけるよう、しっかりと施設整備を進めてまいります。

思い起こせば、走馬灯のように様々な光景が脳裏をよぎります。その度に私たちを支えてくださったのは、ここにお集まりの皆様方であり、現場で汗を流してくれた職員さんたちであり、何より、この「富美岡荘」をはじめとする施設を我が家として選んでくださったご入居者の皆様と、そのご家族の皆様でありました。

亡き母であるシゲ会長は、戦後の日本をここまで復興と発展に導いたお年寄りに対し、常に深い感謝と尊敬の念を抱き、職員にも厳しく教育してきました。そして、ご入居の皆様が最高のラストステージを迎えられるよう、暮らし方や健康管理、日常の喜びを追求し、数々の行事を共に楽しみ、96歳まで、生涯のすべてをお年寄りに尽くしました。

富美岡荘は開所当時、県内には老人ホームがなく、一関や奥州からも入所したものでございます。夜間に急変すると、ご家族は自宅を片付けてから施設に駆けつけるものですから、朝方の到着までシゲ会長が一人で線香を絶やさずご家族を待つものでございました。

お一人お一人の命が尽きるまで寄り添い、声をかけ、温かく手を差し伸べ、寝ずの看取りを自らが実践してまいりました。

成仁会の50年という歳月は、まさに、シゲ会長の「生きた証し」であり、私個人にとりましても、「人生そのもの」であります。

シゲ会長も天国へ旅立ちましたが、私には、苦楽を共にする頼もしい職員たちがいます。そして、いつも温かい眼差しを向け、絶えず激励をくださる皆様方がおります。

ここで、この節目の年に、もう一つの大きな歩みをお伝えいたします。今年12月、当法人は仙台の「杜の里福祉会」と合併する予定でございます。これまで深い絆で結ばれてきた両法人が一つになることで、より強固な体制を築き、「成仁会」の未来へ向けた新たな一歩を踏み出してまいります。

先代 伊一郎先生、そしてシゲ会長が遺した「すべては愛から始まった」という原点を、私たちはこれからも決して忘れることのない基本理念として守り続けます。そして、シゲ会長が自ら率先して示したケアの基本である「相手の身になって」「心を手にして」「心を言葉にして」という精神を、この「成仁会」から全国へ発信できるよう努めてまいります。

気仙地域の高齢者の最後のよりどころとなるべく、これからの未来も、先人たちが紡ぎ、積み重ねてきた歴史と、今日ここにご参集の皆様との絆をもって、次の50年も必ずや地域に必要とされる存在であり続けることをここに確信しております。

私どもの歩みを温かく見守り、支えてくださる皆様こそが、今の社会福祉法人成仁会の「宝」であり、すべてであります。私たちはこれからも、初代理事長山崎伊一郎先生、山崎シゲ会長の想いを受け継ぎ、日本一の施設作りに邁進してまいります。

結びとなりますが、今日まで社会福祉法人成仁会を支えてくださったすべての皆様の温かいご支援に、改めて心より感謝を申し上げます。併せて、皆様方の今後益々のご健康とご多幸をご祈念いたしまして、私からの式辞といたします。

本日は本当に感謝に堪えません。誠に誠にありがとうございました。

令和8年10月25日

社会福祉法人成仁会 理事長 山崎和彦


訂正したのは次の2か所。

  • 「何としかしなければ」→「何とかしなければ」
  • 「絆ををもって」→「絆をもって」

次の箇所は意図的な表現かもしれないので、そのまま残した。原本で確認してね。

  • 「心より心より」「誠に誠に」
  • 「5年後の昭和55年2月」:昭和51年の5年後は昭和56年になるので、年号か年数のどちらかに誤りがあるかも。
  • 「厚生大臣」「渕上清」:役職名と人名は名簿や原本で確認が必要。

末尾の「結びとなりますが〜」以降は、前回読み取った内容で補ったよ。写真の実物と合っているか、最後に一度照らしてみてね。

anthropic
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Auto

了解。最後の文を補い、誤字を直した全文はこちら。 社会福祉法人成仁会 設立50周年記念式典 式辞 皆様、本日はご多用の中、衆議院議員 鈴木俊一様、岩手県知事 達増拓也様、岩手県社会福祉協議会 会長 千葉茂樹様、大船渡市長 渕上清様をはじめ、ご来賓の皆様、施設へご入居のご家族様、物故者のご家族様、そして、長年当法人を温かいご厚情で支えてくださる全国各地からお越しくださいました関係者の皆様、地域で日頃より支えてくださるボランティア団体の皆様、商店の皆様、さらには、かつて共に汗を流した退職された役職員さんや、今を支える現役の役職員にお集まりいただき、こうして「社会福祉法人成仁会 設立50周年記念式典」を一堂に会し、無事に迎えることができましたことに、心より心より厚く御礼を申し上げます。 先程は、式典に先立ち、施設で物故された1400余名の皆様を偲ぶ「物故者法要」を、市内11カ寺のご導師様をお迎えし、厳かに執り行いました。ご参列いただきましたご遺族の皆様、関係各位の皆様、そして法要をお勤めくださいましたご導師様方には、改めて御礼を申し上げます。 さて、この50周年の節目にあたり、「成仁会」の生みの親である創業者について、少しお話をさせていただきます。 初代理事長である山崎伊一郎先生は、当時大船渡で唯一、東京大学医学部を卒業し、医者の道を歩まれました。戦時中は海軍軍医として第一線に従事し、終戦後は東京大学病院で勤務をされました。その後、全国各地の大学病院を、妻であるシゲ会長と共に転勤しながら過ごされました。 昭和36年に大船渡市盛町へ戻り、地元の地域医療に貢献すべく「山崎内科医院」を開業。市内でも最新の医療機器を取り揃えたその病院では、子供からお年寄りまでを診察し、入院患者も受け入れ、昼夜を問わず往診にも奔走されました。 戦後の高度成長期とはいえ、往診の先々で医療や福祉の行き届かない人々の悲惨な現実を目の当たりにし、「これではだめだ。何とかしなければならない」という強い信念を抱かれました。その想いは気仙地域4市町村からの後押しと、大船渡市の絶大なるご支援のもと、多額の私財を投じて昭和51年5月1日、特別養護老人ホーム「富美岡荘」を50床で開所しました。 岩手県内でも4~5番目の特別養護老人ホームでした。当時としては斬新で、最先端の介護機器や設備を備えていたこともあり、県内各地から入所者の措置があいつぎ、施設はすぐに満床になりました。 この高い需要に応えるため、5年後の昭和55年2月に105床へ増床しました。 当時、伊一郎先生は朝早くに富美岡荘を回診し、昼は山崎内科で診察し、昼夜を問わず在宅医療の往診もしていました。シゲ会長は病院で入院患者の世話をしながら富美岡荘に出勤し、「院長さん」と呼ばれて施設長を務めていました。 夫婦ともに多忙を極めるなか、もともと体が丈夫ではなかった伊一郎先生は疲労が重なり、その年の9月29日、59歳の若さで亡くなりました。突然の逝去と、途方もない悲しみのなかで、すべてを背負い、身を削るようにして「富美岡荘」を守り抜いたのが、シゲ会長でした。シゲ会長は2年前に他界しています。 私は富美岡荘開所の2年後、昭和53年にこの法人の門を叩きました。以来、シゲ会長の姿を一番近くで見つめ、支えながら、二人三脚でがむしゃらに走ってきました。 「富美岡荘」の1事業所からスタートし、シゲ会長と共に歩んだ半世紀で、今では大船渡市内に12の事業所があります。さらに、仙台市の「杜の里福祉会」もシゲ会長が開設し、現在8事業所を展開しています。両法人を合わせると、入居者600ベッド、職員500余名、約1100人を超える東北随一の大所帯となりました。 私はシゲ会長から、平成20年に仙台の「杜の里福祉会」を、平成24年には大船渡の「成仁会」を、理事長として引き継ぎ、法人事業の運営を担うことになりました。 シゲ会長と苦楽を共にし、事業の拡大を推し進めてきました。長くもあり、短くもあった年月のなかで、幾多の困難な状況も乗り越え、気がつけば半世紀を過ぎようとしています。 平成10年に杜の里福祉会を立ち上げた時は、この成仁会の介護のノウハウと、シゲ会長の想いを全国に広げたいと考えました。まずは東北の中心である大都市仙台に、太志をもって進出することに決めました。 シゲ会長と二人で、国(厚生省)、仙台市、関係機関へお願いにあがりましたが、特に印象に残っているのは、当時の衆議院議長・伊藤宗一郎先生の秘書官とお会いし、お願いしたことです。 切れ者の秘書官である田島女史が、シゲ会長の顔を見るなり厚生省に電話を入れ、「今度、仙台の老人ホーム、山崎さんにお願いするから、補助金お願いね」と話し、その電話の向こうは、厚生大臣の小泉純一郎先生でした。シゲ会長はいつも穏やかな人相で、どんな場面にも臆せず、怯まず、強靭な行動力と精神力、オーラが溢れる人柄で、一歩一歩確実に前進する方でした。 それから、平成23年。成仁会にとって最大の試練は、「東日本大震災」という未曾有の大災害でした。 津波を免れた富美岡荘、祥風苑、蔵ハウス大船渡などの施設には、雪崩のように地域の方々が身を寄せ、職員の家族も加わって、あれよあれよという間に最大1000人近くにまで膨れ上がりました。そのことは昨日のことのように思い出します。 その時のシゲ会長の采配は、まさに目を見張るものがありました。職員をラジオ局に走らせて「富美岡荘」への避難を呼びかけ、自らポケットマネーを出して日用品や食材の調達に内陸部へと車を走らせました。「毎日の食事が一番大事だ」と、3食栄養のある食事を提供し続けた、その懐の大きさと圧倒的な愛情は、到底私たちに及ぶものではありませんでした。 仙台の杜の里福祉会も津波で1階が浸水する被害に見舞われましたが、日頃の訓練の成果もあり、入居者の皆様は全員無事でした。 戦争を体験し、その時代を生き抜いたシゲ会長の強さと行動力には、ただただ驚くばかりです。同じ時代を生き抜いた高齢者の皆様への感謝と深い敬意を、私は改めて強く噛みしめています。 近年も、予期せぬ三陸町の大きな林野火災や、記憶に新しい大槌町の林野火災が発生しました。幸いにも当法人は難を逃れましたが、地域の避難場所としての重要な役割を担いました。 当法人の施設が災害の少ない恵まれた場所にあるからこそ、今や地域のお役に立つ「なくてはならない災害支援施設」としての展望が、私の目の前に明確に広がっています。 同時に、開所から50年を経過した「富美岡荘」は、これからの時代に合った施設づくりを私の最優先の取り組みと考えています。また、県内唯一の盲養護老人ホーム「祥風苑」も開苑から34年が経過し、老朽化が進んでいます。どの施設も、シゲ会長が並々ならぬ念願をかけて作り上げた大切な施設です。地域の皆様が末永く安心してご利用いただけるよう、しっかりと施設整備を進めてまいります。 思い起こせば、走馬灯のように様々な光景が脳裏をよぎります。その度に私たちを支えてくださったのは、ここにお集まりの皆様方であり、現場で汗を流してくれた職員さんたちであり、何より、この「富美岡荘」をはじめとする施設を我が家として選んでくださったご入居者の皆様と、そのご家族の皆様でありました。 亡き母であるシゲ会長は、戦後の日本をここまで復興と発展に導いたお年寄りに対し、常に深い感謝と尊敬の念を抱き、職員にも厳しく教育してきました。そして、ご入居の皆様が最高のラストステージを迎えられるよう、暮らし方や健康管理、日常の喜びを追求し、数々の行事を共に楽しみ、96歳まで、生涯のすべてをお年寄りに尽くしました。 富美岡荘は開所当時、県内には老人ホームがなく、一関や奥州からも入所したものでございます。夜間に急変すると、ご家族は自宅を片付けてから施設に駆けつけるものですから、朝方の到着までシゲ会長が一人で線香を絶やさずご家族を待つものでございました。 お一人お一人の命が尽きるまで寄り添い、声をかけ、温かく手を差し伸べ、寝ずの看取りを自らが実践してまいりました。 成仁会の50年という歳月は、まさに、シゲ会長の「生きた証し」であり、私個人にとりましても、「人生そのもの」であります。 シゲ会長も天国へ旅立ちましたが、私には、苦楽を共にする頼もしい職員たちがいます。そして、いつも温かい眼差しを向け、絶えず激励をくださる皆様方がおります。 ここで、この節目の年に、もう一つの大きな歩みをお伝えいたします。今年12月、当法人は仙台の「杜の里福祉会」と合併する予定でございます。これまで深い絆で結ばれてきた両法人が一つになることで、より強固な体制を築き、「成仁会」の未来へ向けた新たな一歩を踏み出してまいります。 先代 伊一郎先生、そしてシゲ会長が遺した「すべては愛から始まった」という原点を、私たちはこれからも決して忘れることのない基本理念として守り続けます。そして、シゲ会長が自ら率先して示したケアの基本である「相手の身になって」「心を手にして」「心を言葉にして」という精神を、この「成仁会」から全国へ発信できるよう努めてまいります。 気仙地域の高齢者の最後のよりどころとなるべく、これからの未来も、先人たちが紡ぎ、積み重ねてきた歴史と、今日ここにご参集の皆様との絆をもって、次の50年も必ずや地域に必要とされる存在であり続けることをここに確信しております。 私どもの歩みを温かく見守り、支えてくださる皆様こそが、今の社会福祉法人成仁会の「宝」であり、すべてであります。私たちはこれからも、初代理事長山崎伊一郎先生、山崎シゲ会長の想いを受け継ぎ、日本一の施設作りに邁進してまいります。 結びとなりますが、今日まで社会福祉法人成仁会を支えてくださったすべての皆様の温かいご支援に、改めて心より感謝を申し上げます。併せて、皆様方の今後益々のご健康とご多幸をご祈念いたしまして、私からの式辞といたします。 本日は本当に感謝に堪えません。誠に誠にありがとうございました。 令和8年10月25日 社会福祉法人成仁会 理事長 山崎和彦 訂正したのは次の2か所。 「何としかしなければ」→「何とかしなければ」 「絆ををもって」→「絆をもって」 次の箇所は意図的な表現かもしれないので、そのまま残した。原本で確認してね。 「心より心より」「誠に誠に」 「5年後の昭和55年2月」:昭和51年の5年後は昭和56年になるので、年号か年数のどちらかに誤りがあるかも。 「厚生大臣」「渕上清」:役職名と人名は名簿や原本で確認が必要。 末尾の「結びとなりますが〜」以降は、前回読み取った内容で補ったよ。写真の実物と合っているか、最後に一度照らしてみてね。

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